“このままでは子どもを守れない 最後の手段です”

“このままでは子どもを守れない 最後の手段です”
全国で保育士の「一斉退職」が相次いでいます。

保育所などで複数の保育士が同じ時期に一度に退職してしまい、子どもの受け入れにも影響する深刻な事態です。

なぜこうした事態が起きているのか。

取材すると、慢性的な人手不足の中、職場環境によって今いる保育士の「やる気」や「志」が奪われている実態が見えてきました。
(社会部記者 小林さやか)

「もう限界」相次いで寄せられる声

先月(3月)大阪・堺市の認定こども園で、運営法人の一部の役員によるパワーハラスメントなどの不適切な対応を訴えて、保育士のほとんどが一斉退職した件についてニュースで報じた後、NHKの情報提供窓口「ニュースポスト」には「同様の事態が起きている」と全国各地から多くの声が寄せられました。
▽「半分以上辞める。けがや事故が心配」(自園で退職が起きた保育士)
「同じ様なことが起こっています。保育士が半分以上辞めます。園児に対する虐待と保育士に対するパワハラもある。少ない人数での保育に不安しかない状況です。けがや事故が心配、不安しかないです」

▽「何度訴えても改善しようとしない」(退職を迷う保育士)
「当園も同じような状況になり得る可能性があります。保育士は立場が弱く何度現状を訴えても会社や行政は改善しようとしません。私たち保育士は大きな事故が起きるまで動いていただけないのでしょうか。会社に見切りをつけ一斉退職に持ち込まなくてはいけないのでしょうか」

▽「安全に保育できないこの園には居続けられない」(退職を決めた保育士)
「会社はどんどん園だけ増やして、保育士が足りない状況。もう待てない。人が来ない。この園にいたいけれど、居続けられないと判断しました。最大の理由は保育士が安全に子どもたちを保育できないことです」

▽「なぜ辞めるのか説明もなく不安しかない」(保護者)
「子どもを通わせている保育園の先生方の多くが一斉に退社されました。なぜそんなに多くの方が辞めるのか説明会すらありません。このまま預けても大丈夫なのかどうなのか不安しかありません。新年度早々子どもが軽いけがをしてきました。とても怖いです。転園できるのならいいですが、中々空きもなく厳しいのが現実です」
現場はどうなっているのか、投稿してくれた人に直接話を聞きにいきました。

保育士「負の連鎖、限界寸前」

まず訪ねたのは、都内の認可保育所で働く20代の保育士の女性です。

「自分が働く園でも、大阪の園と同じ状況になりかねない」と投稿を寄せてくれました。

女性が働くのは大手の会社が運営する保育所。

ここ数年、運営会社は、待機児童対策として、次々と新たな園を開設し、その影響で、現場では人手不足の状態が続いてきたといいます。

園では、常勤の保育士のほかに、短時間のパートタイム勤務の保育士を入れることで、書類上は国が定める保育士の配置基準を満たす形になっていますが、現場ではパートタイム勤務の人がいない時間帯が多くあり、基準を満たさない状態で子どもを見ていることが常態化しているといいます。

慢性的に人手が足りず業務の負担が重くなり、会社や自治体にも現状を訴えましたがほとんど改善しませんでした。

こうした状況に耐えきれずに先月(3月)には、同僚の保育士5人が退職しました。

それによって残った保育士の負担がますます増えるという、「負の連鎖」に陥っていると話していました。
女性が担当しているのは1歳児。

1歳児については国の基準では、保育士1人につき子どもは最大6人。

さらに園がある自治体独自の負担緩和策のため、保育士1人が5人の子どもをみるのが基準です。

しかし、実際は20人の1歳児を3人の保育士で見る時間も多く、目が行き届かずに子どもの安全を守りきれるのか、不安な毎日だといいます。
20代保育士
「子どもがお漏らしをしてしまっても、すぐに着替えさせてあげられず漏れたままになっていたり、子どもが泣いていても抱っこする余裕がなかったりする日々が続いています。お散歩は、職員がギリギリの人数で行くと、子どもが道路に飛び出したり、遊具から転落したりする事故が起きかねず、怖くて行くことができません。1人1人に丁寧に関わって、子どもたちがやりたいことを主体的にできるようにしてあげたいのに、少ない人数の保育士でできる範囲しか対応できず、子どもたちに我慢させることがつらく、疲弊しています」
同僚の保育士と何度も運営会社に対し人の補充を訴えてきましたが、聞き入れられず、「このまま事態が変わらなければ、もう皆でストライキのように退職するしかない」と思いつめているといいます。
20代保育士
「このままだと大きなけがや事故が起きかねず、最悪の場合には子どもの命に関わってしまう。子どもたちのためにと、なんとか踏みとどまっていますが、今の状況でさらに1人が辞めると、ドミノ倒しのように退職が続いていくと思う。行政などが介入して状況を改善してほしい」

保護者は知らない… 勤務記録の改ざんも

「すでに一斉退職をした」という保育士も取材に応じてくれました。

都内の認証保育所に勤めていた20代の保育士です。

この春、同じ職場の保育士7人が一斉に退職したり休職したりすることになったといいます。

この園でも、運営会社の事業拡大に伴い、保育士不足が続いてきました。

人の補充を会社に申し入れても聞き入れてもらえず、「自分たちで人を探してくるように」と言われたこともあったといいます。

保育士の数が国の配置基準を満たさないことは常態化。

ついには、自治体が定期的に行っている監査の前には、勤務記録などを改ざんするよう指示されたと打ち明けました。

残業代の未払いやパワハラなどもあり、「子どもたちと保護者のために」と踏みとどまってきた保育士たちも、会社への不信感が募ったと話していました。

女性が最終的に退職を決意したのは、都内で地震があった時でした。

もし今の人数で大災害が起きたら、子どもたちを安全に避難させることはできないと思ったことがきっかけになったといいます。
20代保育士
「このままでは子どもたちの命に関わる事故などが起きてしまうのではないかと怖くなりました。もし大きな事故が起きてしまい、保育士が守り切れずに大切に思う子どもたちが傷ついてしまったらと考えたら、耐えられません。いつか保育士が補充されるかもしれないと我慢し続けてきましたが、このままでは何か起きたときに自分たちの責任も問われてしまう。もう待てないと判断したのです」
保育士たちは会社に、退職について保護者に説明したいと要望しましたが、聞き入れられず、保護者や子どもに説明することなく園を去ったといいます。
女性が働いていた認証保育所を管轄する東京都や自治体に、配置基準を満たしてないことや、書類の改ざんの事実などがあるか取材しました。

いずれも「そのような訴えがあることは把握しているが、調査中なので答えられない」と回答しました。

労組「行政に相談しても対処されない」

保育士などで作る労働組合「全国福祉保育労働組合」に取材すると、一斉退職についての相談は毎年、年末から年度末にかけて定期的にあり、報道などで表に出る事案は一握りで氷山の一角だといいます。
25年間保育現場で働いていた経験がある佐々木和子事務局次長によると、次のような園で一斉退職が起きやすい傾向があるといいます。
▽ 一族経営でトップのパワハラなどに誰も物を言えず歯止めが利かない閉鎖的な園。

▽ 運営会社が待機児童に対応するため小規模な園の新設を急拡大させ、現場の労務管理が適正になされていない園。
その結果、現場の保育士が次のような複合的な問題を抱える場合が多いといいます。
▽ 保育士不足による業務の負担感の強さ

▽ 賃金が低い、休憩が取れない、といった労務管理の問題

▽ ハラスメントへの不満

さらに、行政などに訴えても「労使間の問題だ」として済まされることも多く、「子どもの安全を守るには一斉に辞めて保育を止めるしかない」という結論に至るケースを数多く見てきたといいます。
全国福祉保育労働組合 保育協議会 佐々木和子事務局次長
「組合では、各園の中に分会を作って労使交渉をすることを勧めていますが、職場に残って交渉をするよりも退職の道を選んでしまう人が多い。多くの保育士は責任感の中で葛藤を抱えて辞めていきます」
実際、今回投稿を寄せてくれた保育士に取材すると、ほとんどのケースで、「行政に相談しているが事態が変わらなかった」と話していました。

専門家は

保育に詳しい玉川大学の大豆生田啓友教授に取材しました。
Q.なぜ保育士の一斉退職が相次いでいるのでしょうか?
「日本では他国と比べて長時間子どもを預かっているほか、保育士の配置基準や処遇など、現場の負担が重く、保育士不足が続いてきた。こうした構造の問題に加えて、一斉退職が起きる園では、日々の保育について園内で風通し良く語り合う風土があまりないなど、マネジメント面での課題も大きいのではないか」

Q.保育士の退職はかつてに比べて増えているのですか?
「保育士はかつては結婚と共に退職していくのが当たり前だった時代もあり、不満などがあっても声を上げることなく何も言わずに退職していったのだと思う。しかし今は、『子ども主体の保育をしたい』とやりがいを持って長く働き続けたいと思う人が増え、現実が伴わないことに対して声を上げる人が増えてきたということではないか」

Q.いまの保育には何が求められているのでしょうか?
「保育の業界では、長年待機児童解消のため量的な課題が大きく、その『つけ』もあって質が今、大きな課題になっている。今こそ子どもの最善の利益のために各園でひとりひとりを丁寧に見る態勢を作る取り組みが求められている」

Q.質を高めるにはどうすれば?
「自分の園だけでなく、地域や保護者、外部の人材などの力を積極的に借りることが必要。外部の人に、園の時間の使い方、働き方などを見てもらい、子どもの保育内容について職員どうしが語り合う時間を確保できるようにする取り組みもある。自治体が介入するというと現場が萎縮するかもしれませんが、問題が起きてしまってからではなく、子どもをよりよく育てるために支え合う態勢作りに平時から自治体が積極的に取り組む必要がある」

国の対策は

こうした問題に国はどのように対応してきたのでしょうか。
仕事を求めている人1人に対して何人の求人があるかを示す「有効求人倍率」は去年7月の時点で、全職種平均は1.26倍でしたが、保育士は2.45倍。

なり手不足が続いています。

国は保育士確保のため、現場の負担を軽減しようと今年度から配置基準を改善。

また、処遇改善策も重ねて行い、給与の増額を図っています。
さらに、こども家庭庁は一斉退職が相次いでいることを受け、4月17日付けで、自治体に対し国の支援制度などを活用して勤務環境の改善を進めるよう通知しました。

人手不足の早期の解決が難しい中、今いる保育士の離職を防止するための対策です。
通知では、
▽ 社会保険労務士などのアドバイザーが保育所などを巡回して勤務環境について助言したり、

▽ 人間関係や労働条件などに関する相談窓口を設置したりするなど、自治体が国の支援事業を積極的に活用するよう呼びかけています。

環境改善、カギは「第三者の介入」

福岡県宗像市は、こうした国の制度を活用し、昨年度から保育所に社会保険労務士を派遣して、風通しを良くし、現場のトラブルの早期解決につなげるための取り組みを進めています。
昨年度から社会保険労務士を受け入れている園を取材しました。

この園では、当初、経営側と現場の保育士の間でコミュニケーションに課題があったといいます。

そこで、まず社会保険労務士が保育士にアンケート調査や個別にヒアリングを実施し、具体的な課題を洗い出しました。
アンケートで「職員を育てることが大事だと考えられているか」「上司はあなたの状況に理解を示しているか」と尋ねたところ、保育士からの回答で評価の数値が低かったといいます。
詳しくヒアリングすると、若手の保育士の中では「日々の保育での頑張りを評価されている実感がない」という、経営層に対する思いが浮かびあがってきたといいます。
一方、経営側にもヒアリングした結果、「園としては、休日を増やしたり、残業時間削減のために職員会議の時間を変更するなど、職員にとってプラスになるようなことに取り組んでいるが職員に伝わっていない」という、労使間のコミュニケーション不足が見えてきたといいます。
このため、社会保険労務士は、月に1回ほど、経営側と保育士が参加して労使間で対話する場を作り、保育士の意見を取り入れながら、園独自の評価基準やキャリアパスを作成しました。

アドバイスを受けて、園も、経営側と保育士との面談の機会を増やし、働きぶりの評価をフィードバックすることにしました。

その結果、保育士からは「きちんと評価してもらっている」という声があがるようになったといいます。
恵愛保育園 畠中智美園長
「今まではどうしても経営者側、職員側という壁がありましたが、職員が日々考えていることがわかりお互いに歩み寄りができるようになりました。第三者の方に、日々の保育を見て、良い部分を認めてもらえたことも職員の自信につながり、やりがいが生まれたと思います」
保育現場の労務管理を専門にしている社会保険労務士の菊地加奈子さんのもとには、ここ数年、こうした自治体や保育所からの依頼が増えているといいます。
特定社会保険労務士 菊地加奈子さん
「目に見えて問題がない園でも、経営者が予兆に気付かないうちに一斉退職が起きるケースがあります。専門的な第三者の目で労務環境を見ることで現場が気付いていない課題を洗い出して解決につなげていくことができる。経営側は『うまくいっている』と思い込まずに第三者を入れて見直すことは、一斉退職の防止に非常に有効です」

「今こそ量から質へ」

今回の取材では、話を聞いた保育士が皆、「子どもの安全をこのままでは守れない」と訴えていたことが印象的でした。

保育所は、問題を訴えられない幼い子どもが利用者であるため、閉じた空間になりやすいうえ、一歩間違えれば命に直結しかねません。

待機児童数は去年4月の時点で2600人と過去最小となり、一見、保育現場をめぐる問題は解決しつつあるかに見えます。しかし、実際には保育現場の負担が増していることを今回の取材を通して感じました。

働く保育士、そして子どもたちをいかに守るのか。

保育所を指導する立場にある行政が積極的に現場に介入し、量の拡充から質的な改善に取り組む必要性を感じました。

(4月18日「ニュースウオッチ9」で放送)
社会部記者
小林さやか
2007年入局
北九州局、福岡局を経て現所属
医療・介護、子供と女性の権利擁護などについて取材